
6月14日早朝。北上開始。
三陸の海岸線沿いは本当に綺麗な景色が続く。
日本に生まれ日本に育つが
まだまだ自分の知らない日本がたくさんあることに気付く。

6月14日。
天気もコロコロと変化。
さっきまで晴天だったのも束の間
あっという間に霧に包まれていく浜。
小一時間で別世界に。

6月14日@南三陸
防災対策庁舎。
屋上にあるアンテナ部分まで津波はきた。
これ以上のコメントは控えます。

6月14日@南三陸
高台から。
ここに街があったということが、
段々と信じられなくなっていく時間の流れが恐ろしい。

6月14日@南三陸から陸前高田への道中。
海はどこにあるの?と思うくらい
海岸線から距離のある駅もまた
津波の爪痕がのこる。

6月15日@陸前高田
今回の訪問で最もショッキングだった場所。
いわゆる「奇跡の一本松」がある陸前高田。

6月15日@陸前高田
いや、その表現に間違いがあるのかもしれない。
「奇跡の一本松」がある・・・ではなく
本当に「奇跡の一本松」しかない。
ここに街があったとどうやったら想像できるのか。
何度も何度も自分の頭の中で想像を繰り返すが
まったく何も頭に描くことができない。

6月15日@陸前高田
震災直後、とある活動家が口にした。
「陸前は難しいぞ。」
その時はなんて非情なことを・・・と思っていた。
しかし今ここに来て、その言葉が重くのしかかる。
復興・・・?
移設・・・ではないのか・・・

6月14日@気仙沼
僕が初めて見た気仙沼はテレビで見た燃えている街だった。
「実際、その場に立って、初めて分かる」という言葉があるが・・・
一つ分かったことは、「人間の想像力の乏しさ」ということ。
他には何も分かりゃぁしない。
その時の映像とリンクするものがほとんどないこの場所では
自分の想像力のなさを嘆くと同時に、風化していくことの恐ろしさを感じた。

6月14日@気仙沼
ヨルノトバリが降りるころ、港は霧に包まれていく。
夜は気仙沼復興商店街にて
マンボー・サメの心臓・絶品カツオ、そして東北の日本酒をいただく。
自営の民宿を津波にもってかれた現居酒屋の店主と
津波にのまれたものの九死に一生をえた同お店のお兄さん
このお二方から、今まで被災地でもテレビでも聞いたことのない話しをいただく。
そこにあるのは、ただただリアルな話し。
津波にのまれた際の一部始終を話してくれた後
「テレビやメディアで復興商店街が完成しました。
復興にむけて進んでいます!なんて行ってるけど
俺ら、メンタル的に全然そんなことはない。結論ありきで取材に来て、番組を編成していく。
だから、そんな取材うけられないんだよなぁ。」
と。

6月14日@気仙沼
ひょんなことで震災復興支援のコンサートに飛び入り参加。
ここ気仙沼でもまた人と人のつながりが強くあることを実感。
アーティスト云う。
「よく東京で、気仙沼、大丈夫ですか?と聞かれる。。。。
全然、大丈夫じゃないっすよ!
一回でいいから来てください!」
その言葉に胸をうたれる。

6月15日早朝@気仙沼
震災から2年3ヶ月。
アベノミクスアベノミクス、株価株価、参院選参院選。
メディアはいろんなことではやし立てているけど・・・

6月15日@気仙沼
おそらく家が建っていたであろうと思われる場所には
必ず決まって花が咲いている。

6月15日@釜石
「鉄の街」釜石
ここもまた女川と同じような景色が続く。

6月15日@大船渡
僕の生まれ故郷、長崎ととても雰囲気が似ていると感じた街。
ここでは大阪から15年前ほどに、この街に移りすんできた素敵なおじさんに出会う。
震災時、自身の家・アトリエその他全て津波にもっていかれ、
一時避難ということで山の中へ生活の場を移したが
今は再びこの大船渡にもどってきて生活をしている。
一言。
「やっぱり僕には山の軽い空気が耐えられんかったわー。海好きやねん。」
と軽快に発すると同時に
「津波んときは一人やったから、幸い、いや、これ幸いって云っちゃぁいかんのは分か
とるが、
のまれていく方々の断末魔を耳にせんかったことやなぁ」とも。

6月15日@女川原発
ここではもうこれ以上書く言葉が見つからなかった。

6月15日@女川原発から約3km
夕暮れに染まる女川の海岸線
震災から2年3ヶ月経とうとしている今。
明らかにマスコミから流れてくる情報に違和感を感じ、足を運んだ東北の地。
絶望を感じる景色の中、ひたすら車を前に進めた。
なんだ、ただの物見遊山ではないか、と云われれば、否定する気はない。
以前はボランティア、取材、撮影など
いつも何か目的があって、その場を訪れていた。
勿論そこから見えるものもあると思う。
同時にそこからだけでは見えないものもあると思う。
故に今回は初めて、何も目的を持たず、自分の見たいもの、聞きたいもの、感じたいものを
自由にまわらさせてもらった。
ただ一つ。
今の東北には物見遊山でも観光でもボランティアでも何でもよい。
やっぱり足を運ぶことが大切なんだと思う。
海を愛し
街を愛し
故郷を愛し
そこで生活を営み
文化を築き
歴史を記す
絶望の中に希望を感じさせてくれる地元の人々の姿があった。
少なからず
現状を写真におさめ、公開し、文章を書く
一人でも多くの人が僕の写真・文章を通じ
何かしらに興味を持ち
東北へ足を運んでくれればという想いで・・・
たぶんそれは同時に写真を撮らさせていただいた街・人・東北への感謝でもあり、
撮影したものの使命だとも思う。
おわり
三陸の現状がよくわかる写真でした。
陸前高田、三陸町、気仙沼と震災後に行ったことがありますが、復興とはやはりほど遠い状況ですね。
「東北へ足を運んでくれればという想い」よくわかりました。
近く、また行きたいと思います。
川島様
コメント、ありがとうございます。
本当にまだまだ復興にはほど遠い状況でした。
是非是非、また足を運んでみて下さい。
片岡拝